死んでも最後まで残るのは聴覚

生きているうちに新型のウイルスが流行り、外出自粛の生活がおとずれるだなんて夢にも思わなかった。
幸い、在宅勤務な私は仕事にも全く支障がなく感染するリスクもかなり少ない。

この世情の中、タイミングが悪いといってしまっていいのか微妙だが母方の祖父が亡くなった。92歳だった。

数年前に認知症になり、家の帰路もわからなくなり施設には入れず、精神病棟に行き、弱っていく姿を見るのは堪えた。

何よりもショックだったのが母の顔、実娘の顔を忘れていることだった。一年に一回しか会わない孫である私の顔は当然といっていい、わからないのはしょうがないのだけど。

面会時に母が離席中、何度も私に
『今の人は誰?』
「お爺ちゃんの娘だよ」
『そうかそうか娘か、娘は一人か?名前は?』
「娘は2人だよ、名前は○○だよ」
『そうかそうか、そうやったね。お前さんは誰か?』
これを数分の間に何度も繰り返す…。

お爺ちゃんの前では泣いてはいけないと涙を堪え、病棟をあとに泣き崩れた。私は人前で滅多に泣かないので母は驚き、事情を話すと

「進行しててびっくりしたね。しょうがないよ、悪気はないんだよ、会ってくれてありがとうね。」

そして次に会った時には歩けなくなり、車いす生活になった約1年前に母と兄と会いに行ったのが最後になった。人が弱っていつ死んでもおかしくない状態を見るのはこんなにも辛いものなのか。

「俺の事なんてなんもわからんね」と涙ぐみ兄が言った。

数十年前、私が高校生の時に母方のお婆ちゃんは死んだ。
朝、母はお婆ちゃんと電話をしたらしい。そしてその夜、脳梗塞で倒れ急死、お婆ちゃんの死に目に会えず、葬式で号泣し崩れ落ちていた母の姿が今でも目に焼き付いている。今思えば、母は強がりでまったく泣かない人だった。

それからお爺ちゃんは近くに住む叔母の家に一緒に住むことはなく、何十年も1人で暮らした。認知症が悪化する原因にもなったのだろう。

そして何度も危篤状態を乗り越え復活していたお爺ちゃんが逝ってしまった。

家族葬をすることになったが、兄は仕事柄どうしても来れなかった。遠征し葬式にきてウイルスをもらってしまったらとんでもないことになる。泣く泣くの決断だった。しょうがないんだろうか?葬式に来て2週間自宅待機することができない環境ってどうなんだろう?

人が死ぬのは一生に一度で兄の祖父は一人しかいない、仕事の代わりはいるのに。これが祖父ではなく母だったら、父だったら、私だったら絶対に無理やりでもくるだろう。

やっぱり命に重さはある。

いつかは死ぬと思うけれど、年功序列でもない。いつ死んでもおかしくないのなら会いたい人には会っておきたいと強く感じた。

お爺ちゃんはお婆ちゃんと仲良く天国にいるのだろうか。死んでしまったら生き物は何処へいくのだろう。

無事にお葬式を終え、たくさん泣いた母は帰り際に「帰る実家がとうとうなくなっちゃった」とポツリつぶやいた。

考えたこともなかったが、
私はまだ、その経験をしたくない。